富士の麓に、若葉が茂る

新茶

霊峰、富士。その南に広がる地域を岳南と呼びます。温暖で適度な降雨に恵まれたこの地域では江戸時代よりお茶の栽培がされてきました。

  • 水はけの良い富士山の火山灰。
  • 日本一の『濾過装置』を通った湧水。
  • 水も大地も富士山の恵み。

そんな岳南地域で昭和二年、初代、本多茂平より始まった”まるも”のお茶作り。

野村一郎と天下一製法

お茶のアロマ

富士のお茶の栽培、製造の始まりは江戸時代だと言われています。

明治に入り、お茶は重要な輸出品として静岡県の各地で茶製造が盛んになりました。静岡県東部地域も商用のお茶栽培、製造が盛んになりましたが、その技術は他産地に比べると未熟でした。その現状は富士市、比奈村の野村一郎の努力によって徐々に変化していきました。

野村一郎は富士山と愛鷹山の間の原野を開墾し、茶園を造成したとされています。

また製茶技術の向上と普及のため各地から製茶師を招き、彼らとともに研究を重ね独自の手揉製茶法を完成させました。このお茶は当時の茶商人より「天下一品」の評価を受け、その製法は富士地域に広がりました。

野村製法は「天下一製法」として名を馳せましたが、その後の製茶の機械化によって姿を消します。富士ではかつての「天下一製法」を復興させるべく、富士市茶手揉み保存会が中心となり研究が進められています。